近年、発達障害の子どものことをよく耳にするようになりましたが、中でも多く聞くのが自閉症です。言語や認知面、社会性のスキルに問題があり、その症状は一人一人違うため、育てる側の親は一筋縄ではいかない自閉症の症状との闘いになります。
また、その言葉のイメージから一般的に理解されていないことも多く、そのため親は孤独になりがちで、様々なストレスに見舞われ、精神的にも肉体的にも耐えうる力を持ち続けるのは、並大抵のことではありません。中には、疲れ果てて自分を喪失してしまう親もいます。
自閉症の子どもを持つ夫婦の離婚率や親の自殺率も高いと言われています。だからこそ、いかにストレスを解放していくかが自閉症の子どもを育てる上で大きな鍵になってくるのです。
今回ご紹介する実証例のMさん(30代 女性)も、自閉症の娘のことで悩み、精神的に追い込まれていました。しかし、ミロスシステムに出会い、ストレスを増幅させる要因が自分の中にあることを知ってから、わが子との関わり方がまったく変わり、娘の言動にも変化が見られるようになった体験です。
この実証例が、発達に不安のあるお子さんを育てる親御さんのストレス軽減に少しでも役立てば幸いです。
『自閉症の娘が教えてくれたもの』
娘が自閉症?!
Mさんが娘の発達に疑問を持ち出し、“自閉症”の疑いがあると聞かされたのは、娘が3歳の時でした。
先天性の脳機能障害で、まだ原因も治療法もはっきりとわからないという医学の現状に、彼女は希望を失い、健常児に産んであげられなかった自分をずっと責めてきました。
夫に相談しても、いつも気の抜けた返事しか返ってこないことに苛々するだけで、身近に協力者がいない中、Mさんは独り娘の育児に奮闘していました。
学校では孤立化
娘が小学校に入学する時には、教育委員会が勧める特別支援学級ではなく、一般学級に入学させましたが、学校に慣れるまでは本当に大変な想いをしたそうです。登校時は娘に付き添い、別れ際に泣き叫ばれ、授業中は担任を困らせ、時には学校行事にMさんが同伴することもありました。
特に困ったことは、友達と会話ができないことでした。娘は、話しかけられたことに返答することができず、また、大人数の子どもが寄ってくるだけで逃げだす始末でした。Mさんは、学年が上がるにつれて孤立化していく娘のことを考えると心配でなりませんでした。
学校の連絡ノートにも、担任が「今日は○○ができませんでした」と書いていることが多く、毎日頑張っている娘が否定されているように感じ、湧き起る悲しみや悔しさ、怒りの感情に苦しんでいました。
病名は“自閉症スペクトラム”
正式に病名がついたのは二年生の二学期でした。医師の診断は“自閉症スペクトラム”。覚悟はしていたもののMさんはショックを隠せませんでした。
これからこの子はたくさんの人に迷惑をかけ、世間の偏見の目にさらされて生きていくことになると思うと、娘のことが不憫でならず、生まれてこなかった方がよかったんじゃないだろうかと思うこともありました。
ミロスシステムとの出合い
親としてどうしていけばいいのか、どこかに“答え”はないものかとさまよっていた時でした。ミロスシステムに出合い、Mさんの世界は大きく変わっていったのです。
それまでMさんは、娘や娘を取り巻く環境に否定的なものばかりを見てきました。しかし、自分の内面の無意識が目の前の世界に大きく影響していることを知り、日常の中で自分が“感じているもの”を鍵にして、初めて無意識というものに触れていったのです。
目の前の現象をシステムで紐解く
Mさんにとって非常にショックなことでしたが、周りの健常児と娘を比べて、“劣っている”ことを悲観し、娘の存在価値を下げていたのは母である自分でした。しかし、娘に感じるものは実はMさんが自分に対して持っている無意識の“劣等感”だったのです。
彼女は、無意識に自分で自分のことを卑下し、その低い自己価値を上げようと、“できる自分”を演じてきました。常に周りの人間と比べて優越感に浸っていたかったのです。しかし、この世界(三次元)の法則では、Mさんが“できる自分”を演じれば演じるほど、背後に隠した“劣等感”も増幅していきます。そして、大きくなった劣等感が表に“反転”し、様々な形で否定的な現象となって現れていたのです。
まさか、自分の無意識がつくり出した世界にストレスを感じていたとは、彼女も思いもしませんでした。
娘の姿は両親へのメッセージ
メカニズムを知ったMさんには、肩書きや上下関係へのこだわりはもうありませんでした。できない自分を恐れる気持ちからも、できる自分への執着からも解放されていました。
そして、友達とコミュニケーションのとれない娘の姿は、“まともに会話のできない自分たち夫婦そのものだ”と気づいた瞬間、親のために自分の命を使ってメッセージを送ってくれた娘の存在に、言葉にならないほどの感謝があふれたのです。
奇跡的な変化
すると、その直後から娘の様子に変化が現れました。ある日、娘が家に帰ってくるなり、その日の出来事を嬉しそうにMさんに話し出しました。その内容は今までの娘からは考えられないものでした。自分から友達を誘い、シーソーやなわとびをして遊んだことや、なんと娘の方から明日の約束までしてきたと言うのです。あまりの嬉しさにMさんは娘を抱きしめました。
あれほど会話が苦手で、医師からもコミュニケーション能力は乏しいと聞かされていただけに、娘の変化は奇跡としか言いようがありませんでした。そして、今まで娘のマイナス面にばかりに気をとられていましたが、もう片方には素晴らしい能力があり、得意な処理能力を活かして計算問題や本読みなどで才能を発揮できることもわかりました。
幸せな家族へ
今では親子3人で穏やかな毎日を過ごせるようになりました。夫婦関係も変わり、孤独な育児に悩んでいた日々が嘘のようだとMさんは言います。夫と出会い、夫婦になれたこと、そして、自分たち夫婦を選んで生まれてきてくれた娘の存在が愛おしくてたまらないそうです。
(終わり)