私には愛がない…。幸せになる資格がない…。
過去の罪悪感を背負い、幸せを求めながらも拒絶している人は世の中にたくさんいるのではないでしょうか。
これからご紹介するお話は、「世界中のすべての女性が幸せになっても、自分だけは幸せになれない」という強烈な罪悪感を持った女性(Mさん)の実証例に基づいたものです。彼女は自ら課した “思考の呪縛” からいかにして解放され、“本当の幸せ” にたどり着くことができたのでしょうか。
『幸せをあきらめたすべての女性へ』(前半)
転校がきっかけで
「小学生の時に転校するまでは、本当に天真爛漫な子供だったんです」
何事も自分のペースで行動していたMさんは、まるでパラダイスにいるかのような幸せな学校生活を送っていました。ところが、あるとき転校を余儀なくされ、環境が一変。彼女は窮屈さを感じるようになり、自分らしく振る舞うことができなくなりました。
転校生ということもあり、校内で周りから注目されることは仕方がありませんでした。しかし、周囲の視線に感じる強烈な違和感はそれが原因ではないように思えました。
中学生になると、“人にどう思われるか” ばかりを気にするようになり、高校生の頃には人前で話すことさえできなくなっていました。
天真爛漫を演じていた
自分の居場所を失った彼女は恐怖さえ感じるようになりました。自分でもどうしてそのようになってしまったのか理解できず、ずっと悔しさを抱えていたそうです。
そうして彼女から話を聞くにつれて、私には、天真爛漫だったという彼女の中に彼女自身も気づいていない “もうひとりの自分” がいることが見えてきました。
妹が生まれたとき、Mさんは「母を奪われた」と感じたそうです。そのことを改めて認識したとき、彼女は内側から湧き上がってくるネガティブな感情を言葉にしはじめました。
両親や祖父母、兄の愛情まで独り占めにする妹への嫉妬。経済的に不安定だった父に対する蔑視。祖父母との確執。
“パラダイス” と同時に存在していた世界… 彼女はネガティブな感情を無意識の中に追いやって封印し、その片側の “天真爛漫な自分” を演じていたのです。
自立した女性へ
転校先での “周囲に受け入れてもらえない” という孤独感も、実は自分の中に置き去りにした “愛されることをあきらめた自分” の孤独感だったのではないでしょうか。
自覚することなく自分の中に抑圧していた思い、そして、愛されることに対する “あきらめ” という欠乏感をバネにして、彼女は誰にも頼らない “自立した女性” になっていったのです。
心から楽しめない
その後、本当の自由を求めて親元を離れ、地方の大学に進学することになったMさんは、「今度こそ変われるかもしれない」と期待を膨らませました。しかし、そこにも “心から楽しめない自分” が存在しつづけました。
“パラダイスにいた自分” のことが大好きだった彼女は、うまく立ち振る舞えない自分を嫌っていました。好意を寄せてくれる男性が現れても、「こんな私のどこがいいのだろう?」と受け入れることができなかったそうです。それでも、大学はさまざまな面で中学や高校とは違い、制限が少なく、自由な世界に思えました。
「これからはクラブ活動やアルバイトで大学生活を思う存分楽しもう」
母が病気に
そんな期待感に胸をふくらませていた矢先、母が思いもよらない病気を発症したのです。“パーキンソン氏病” ─ 治療方法も確立されていない進行型の病気です。
Mさんはショックを受けました。しかし、母の病気によって自分の自由が奪われることへの不満のほうが大きかったといいます。
大学を卒業して社会人になると、母の症状は日増しに悪化していきました。しかし、彼女はどうしても母の病と向き合うことができませんでした。父と妹に介護のほとんどを任せて、あいかわらず仕事に明け暮れる毎日を過ごしていました。
好きな仕事をして稼いだお金は自由に使い、休日は毎日たまるストレスの発散 ─ 彼女は時間もお金も、すべてを自分のために使いたかったのです。
結婚話を破談にした
仕事にも慣れ、大きなやりがいを感じていた頃、Mさんに結婚話が持ち上がります。相手の家は代々続く政治家の家系でした。
「彼と結婚したらどうなるのだろう。家のしきたりやいろんな付き合いに明け暮れるなかで、束縛されたまま人生を終えることになるのではないだろうか…」
不自由な生活になることを恐れた彼女は、自らその結婚を破談にします。
「私には仕事しかない!まだまだ世界が見たい!」
彼女は再び仕事に邁進しました。彼女は気づいていなかったのです。仕事も恋愛も、実は子供の頃に抑圧した “愛されることをあきらめた自分” という大きな欠乏感を埋めるためのものであったことに…。
母の突然の死
そんななか、病気で動くことが困難だった母が、お風呂場で転倒し窒息死するという悲劇が起こりました。
「病気の母を置いて自分の自由ばかりを優先してきた ─ 私は “娘” といえるのか?私は人間でさえないのかも知れない…」
微塵の愛もない冷酷な自分を強烈に責め立てました。一生を費やしても償うことができない大きな罪悪感を背負った彼女の人生は、その根底から崩れ去りました。仕事やお金など、それまで価値を置いてきたすべてのものが色あせて見えました。
家庭がある人との恋愛
この出来事をきっかけにして、物質的なものに貪欲だった彼女の生き方は180度転換します。
彼女は安息の地を求め、心の世界に入っていきました。そして、そこで出会った “踊り” を通してあるミュージシャンと出会い、恋に落ちました。
彼には家庭がありました。以前の彼女なら考えられない相手です。しかし、母の死によって “愛のない自分” を責めていた彼女にとって、“誰かを愛せること” は何よりの救いだったのです。
「こんな私でも人を愛することができた…」
そんな安堵感を得た彼女は、彼への愛に依存していきました。しかし、不倫関係に対する罪悪感、そして決して消えることのない母への罪悪感がもたらす苦しさに、彼女はつぶされそうになっていました。
膨らみ続ける罪悪感
それでも、彼に会うと狂おしいほど “好きだ” という気持ちに溺れ、別れることなど想像もできませんでした。彼女は葛藤しながらも、関係を断ち切ることができないまま苦しみ続けました。
子供時代につくられた欠乏感がつくりだした不自由な人生。それをバネにして自由にこだわるあまり背負ってしまった大きな罪悪感。
どこに行っても、何をしても欠乏感は膨らみ続け、罪悪感が上塗りされていく人生に、Mさんはついに耐えきれなくなります。
後半は、そんな彼女がミロスプログラムに出会い、本当の幸せを知っていく様子をお伝えします。
(シリーズ後半へつづく)