前回より、子供の教育に全精力を注いできた教育ママ、Kさんの体験談をご紹介しています。娘のためを思って始めた幼児教育 — しかし、それによって “子供が出す結果” が、いつのまにか、母である “自分の評価” になっていました。
後半の今回では、Kさんが全く違う角度から “自分と娘の関係性” を見たことで、自分を教育ママに仕立て上げていた “もう一人の自分” に気づいていきます。
『親は自分のコンプレックスを子供で埋めようとしている』【後半】
競争社会で勝ち組になるために
Kさんはもともと、この世に “パーフェクトな人間” などいないと思っていました。“オンリーワンの個性” という言葉にも抵抗感を持っていました。
「世の中の成功者は、たまたま恵まれた才能があっただけだ。凡人は、ぼんやりしていると負け組になってしまう。この競争社会で勝ち組になるためには、勉強して成績を上げることが最短最速の方法だ」
そう信じていたKさんは、娘の勉強に全精力を注ぎました。
その甲斐あって、娘は志望する小学校に合格。“娘を優秀な子供に育てた母” として自己評価も上がり、自分に酔いしれていました。しかし、それも束の間…またもや彼女の人生は思い通りにいかなくなってきたのです。
エリート層の中でコンプレックスが噴き出す
娘が通う小学校は私立でした。医者や会社の社長など、社会的地位が高い親を持つ子供が目立ち、経済的にも裕福な家庭が多かったので、Kさんは急に自分が貧乏に思えてきました。
また、そんな親たちには容姿端麗な人が多く、そのことも彼女の容姿に対するコンプレックスを刺激しました。“自分は劣っている” というネガティブな思考から他人の目が気になり、彼女は他の親子の前で堂々と振るまうことができなくなってしまったのです。
成績では勝っている!
しかし、そんなKさんにも唯一、「自分のほうが勝っている」と思えるものがありました。
それは “娘の成績” でした。
「Kさんの娘さんって優秀ですね。どうやって育てているの?」
普段、自分よりもレベルが高いと思っている人たちからチヤホヤされることは、なによりも快感でした。
一方、娘のほうはどういう心境だったのでしょうか。どんなに頑張っても、よい成績を出しても、母親から合格点がもらえない。結果を出さないと怒られ、結果を出せばさらにハードルが上がっていく。母親が監視する狭い部屋の中で、息の詰まるような思いをしていたのではないでしょうか。
ますます娘の学力に強烈なこだわりを持つように
もっと “優越感” を感じていたいというKさんの思いは、娘の学力に対する強烈なこだわりとなり、すでに歯止めが効かなくなっていました。
しかし、厳しくすればするほど娘は不真面目になり、努力をしなくなっていました。娘の成績が下がることが一番の恐怖だったKさんは、娘に言うことをきかせようと必死になり、一段と激しく叱りつけていました。
ついに親子間に大きな亀裂が
そしてついに、その母と子の関係性に限界がやってきました。二人の間に大きな亀裂が入り、終わりの見えないバトルに発展したのです。
子供に言っている言葉は、自分自身に言っている言葉
「娘を変えるにはどうすればいいんだろう…」
どうすることもできずに頭を抱えていたときのこと。ある日、Kさんは知人から不思議なことを聞きました。
「いつも子供に言っている言葉を、自分に向けて言ってみなさい。それは、あなたがいつも “自分自身” に言っている言葉なのよ」
Kさんは、自分が日頃から娘に言っていること、思っていることを思い出してみました。すると、彼女の心にショッキングな言葉が飛び出してきたのです。
自分の存在を消したいほどの自己否定
「私に恥をかかすようなヤツは必要ない」「勉強ができない人間なんて、うちの家に必要ない」
つまり、「要らない」「消えてくれ」 と娘に言っていたのです。初めて自分のむごさを “目撃した” のと同時に、“自分” をここまで蔑んでいたことを知り、ダブルショックで立ち上がれないほどでした。
なぜ、彼女は自分を “消したいほど” 否定していたのでしょうか。実は、Kさんにはこんな過去がありました。
小中学校時代の彼女は真面目で、親の言うことをよく聞く子供でした。成績も優秀で、高校は地域でも有名な進学校に入学しました。
ところが、彼女がハードロックに夢中になった頃から状況が変わり始めます。親の言うことを聞かずに髪を染め、化粧をして、夜はライブハウスに通い、学校にもろくに行きませんでした。やがて授業にもついていけなくなり、成績はみるみる落ちていきました。
“学歴” に対する大きな傷が
高校2年生の二学期になり、さすがに彼女も自分の学力に危機感を感じて勉強を始めましたが、時すでに遅し。進学校の高校とは比べようもない三流大学に進学するしかありませんでした。このことが彼女の心に “学歴” に対する大きな傷をつくってしまったのです。
自信をもって学校名を名乗れない大学生活を送り、就職活動でも大苦戦を強いられました。当時は売り手市場だったにも関わらず、学歴で差別されたのです。彼女の “学歴コンプレックス” はますます大きく膨れ上がりました。
コンプレックスをバネにし
それでも彼女は何とか就職先を決めることができ、社会人になりました。すると今度は、その “学歴コンプレックス” をバネに大きく飛躍することになります。
「仕事は実績がものをいう世界だ」
そう思った彼女は人一倍努力し、勧められる資格を取り、出世街道をまっしぐらに進んでいきました。そして、実績、肩書き、高額の給料という、彼女が最も “自己の存在価値” を認めてもらえる証しと考えるものを手に入れたのです。
自信満々の毎日を送る彼女でしたが、コンプレックスが解消したわけではありません。強烈なコンプレックスをバネに跳ね上がったわけですから、放物線の頂点に達すれば、いずれ必ず落ちてきます。そして、高く上がれば上がるほど、落下時の衝撃も大きくなります。
存在価値に対する判断が欠乏感を生む
当時、彼女はすでに結婚し、妊娠していました。本来なら、女性としての幸せを感じることができる人生最高の時期ともいえるはずです。しかし皮肉にも、会社を辞めて専業主婦になったことで、自分の “存在価値の証し” をすべて失っていました。
娘が誕生してからしばらくの間は、母親になった幸福感もあって “退職後の欠乏感” を忘れていました。ところが、あるとき書店で見つけた “天才児を育てるノウハウ本” がその眠っていた欠乏感を目覚めさせたのです。Kさんは娘のためを思い、彼女を天才児にすべく全精力を注ぎました。
しかし、実はKさんを教育ママに仕立て上げていたのは、“存在価値を感じられない自分自身” だったのです。彼女は、わが子に優秀な成績を達成させることで、“無意識のうちに” 自分が失ってしまったものを埋めようとしていたのです。
そうだったのか!
娘を通して自分の人生の全体像が見えたとき、Kさんの全身から力が抜けました。
「これまで学力にこだわり、他人の視線に苦しみ、娘とバトルを繰り広げてきた。その原因がこんなところにあったなんて!」
すべては “自分はダメだ” という自己否定から始まっていました。しかし、それは大学受験の失敗でつくられたものではありませんでした。彼女はもともと劣等感というものを持っていたのです。
先祖代々、教育関係に縁のある家系で育ったKさんは、無意識のうちに成績の良し悪しで “自分の価値” を評価していました。
「“思考のジャッジ” から作り出したコンプレックスが、これほどまでに自分の人生を狂わせていたとは…」
それに気づいた彼女は、とてつもない解放感と安堵感に包まれました。そして、生まれて初めて “自分は最初から何も欠けていない” ことを感じることができたのです。
自己否定が終わり、母娘ともに人生を楽しめるように
現在、Kさん母子はそれぞれが自分の意志で人生を歩んでいます。彼女を見ていると、心から自分の人生を楽しんでいることが伺えます。
子供も親も、生まれる前に自分が “超えたいテーマ” と “本当に体験したい人生” を自分で決めています。そして、それにふさわしい環境を与えてくれる父と母を選んで生まれてくるのです。互いになくてはならない “親と子の縁” に、時空を超えた生命の神秘を感じずにはいられません。
さて、ご紹介した5つの体験談どのケースにおいても、
“親と子の関係性のトリックを見破った瞬間、相手が変わり、状況が変わる”
という体験をされています。そして、二度と過去の関係性に戻ることはありません。
世の中は “問題” であふれています。しかし、いかなるときも、その根源の原因は “人間がトリックに取り込まれたまま、何も知らずに生きている” ことにあります。
次回からは通常の連載に戻り、人生をリセットし再生させる “システム” を通して、様々な人生模様を紐解いていきます。
(体験談 No.5 おわり)