近年、男性と同じようにバリバリ働き、結婚後も子育てと両立させながらキャリアを重ねていく女性も珍しくなくなりました。安倍内閣の経済政策でも「女性が輝く日本」の実現に向けて様々な目標が挙げられています。しかし現実は、まだまだいろんな面で男女平等とは言い難く、女性が家事や育児などで活躍を制限している状況が続いています。
社会の制度などハード面は整えていかなくてはなりませんが、思い通りにならない現実をつくり出している根源の原因は、実は自分の中にあるのです。今回ご紹介する実証例は、女性が本当の意味で輝き、自分の道を開いていくためのヒントになるのではないでしょうか。
『女性が輝く時代へ ~育み育てる力と実行力の融合』
世界に向けた研究論文に携わる女性
沖縄県内にある某大学院の医学研究科で、世界に向けて研究論文を発表するため大忙しの日々を送っているAさん(女性 50代 沖縄県)。子どもの頃からの夢を叶え、さらなる可能性に向かって着々と歩んでいます。
しかし、ここまでの道のりは決して平坦なものではなく、長い間ずっと人のためだけに生きてきた、と言います。Aさんは、どうやって今の人生を手に入れたのでしょうか。
不自由な子ども時代
彼女は、4人兄弟の長女として生まれました。会社役員の父は、仕事の傍ら地域のボランティア活動にも熱心に参加する人で、人望も厚く多くの人から慕われていました。
銀行員の母は、仕事と家事を完璧にこなす女性で、Aさんは、毎日イキイキとしている母が大好きでした。しかし、同居する祖母(姑)の意向で仕事を辞めてから、母は以前のような輝きを失い、姑からの仕打ちに耐え、まるで家庭に縛られたような生活を送るようになりました。そんな母がリウマチと糖尿病を発症したのは、Aさんが中学2年の時でした。
母の病気により、Aさんの人生も一変します。父から母の看病と家事を任され、彼女も自由を奪われてしまいました。そして、日に日に体が不自由になっていく母と、そんな母に冷たくあたる祖母を横目に、朝から夜遅くまで仕事や接待で家に帰ってこない父に怒りは増していきました。
「お母さんをもっと大事にして欲しい、守って欲しい…」というAさんの想いは届かず、ほとんど母の看病をしない父を見て、「男は信じられない」「あてにならない」と思うようになっていきました。
また、母のことがなくても、小さい頃から行動や服装に至るまで常に監視されているような父の視線から逃れたいとも思っていました。
“結婚”に幸せを求めたものの
そんな不自由な生活の中で彼女が幸せを求めたのは、意外にも“結婚”でした。父と母を反面教師にして、理想の相手や結婚生活を思い描いていたのです。
しかし、Aさんは、幸せになれると思っていた結婚に二度も失敗します。その間、2男1女に恵まれましたが、夫の問題、子どもの非行、そして他家に嫁いでも実家の事は彼女が継続してみることになり、不自由さは倍増していきました。
Aさんが求めた自分らしい人生とはかけ離れた生活でしたが、「いつか大学で学びたい」という熱い想いが彼女を支えていました。
離婚後、職を転々としながら女手一つで子どもを育てていた彼女に転機が訪れたのは、地元に戻り、結婚前に取得した歯科衛生士の資格を活かして病院の面接を受けたことからでした。
彼女に訪れた転機
縁あってAさんは某大学院の教授と出会います。奇しくも、彼女の母が苦しんだリウマチや糖尿病に関係する内分泌代謝や膠原病内科学の講座を担当している教授でした。そして、彼女が子どもの頃から母の病気を治そうと研究していた玄米のもたらす効果も研究していたのです。
Aさんは、教授の勧めで大学院を受験し、玄米の研究に携わることになりました。大学で学びたいという願いが見事に叶い、母の遺言となった玄米の研究にも取り組むことができ、亡き母の導きを感じずにはいられませんでした。
自分の首を絞めるような状況に
しかし、子ども時代から染みついた生き方からはまだ抜け出せず、Aさんはまたしても自分の首を絞めるような状況を招いていくのです。
仕事をしながら大学院生として研究に取り組む多忙な日々を送っていたAさんも、修士論文を作成する時期を迎えました。ちょうど娘の受験と重なり、スケジュール的に非常に厳しい状況になっていきました。
しかも、一緒に研究している先生の協力も得られず論文作りは難航、彼女も無理がたたって体調を崩し、病院の検査結果では、母と同じリウマチと糖尿病を示す高い数値が出ました。
即、入院しなければならない状態でしたが、娘の受験を目前にして入院することはできませんでした。是が非でもやり遂げなければならない…と思って頑張りますが、その頑張りももう限界にきていました。
ミロスシステムとの出合い
そんな八方塞がりの状態のなか、自分を知ることで人生を変えられるというミロスシステムに可能性を感じた彼女は、がむしゃらにシステムの理解を深めていきました。
そして、父を通して自分を知り、父に対するいろんな誤解が解け出した頃から、彼女の人生は目に見えて変わりだしたのです。
父への思い込みが変わると・・・
彼女にとって父は、家庭を顧みない冷たい人でした。しかし、その側面には、人のために無償で動くあたたかさもあり、父の片面だけを見て思い違いをしていたことに気付くと、母や家族のために頑張っていた父の姿が記憶からよみがえってきました。
また、父を通して「男はあてにならない」と思い込み、それをバネにして、「私が頑張らないといけない…」と、Aさんは極端に自立に傾いてきましたが、そんな生き方も緩み、教授に現状の大変さを話し、生まれて初めて弱音を吐くことができたのです。
話し終えると教授はこう言ってくれました。
教授「僕にすべて任せてください」
Aさん「わかりました」
この時、彼女は男性の大きな愛にすべてをゆだねることができました。すると、協力してくれなかった先生方が動き出し、病院の検査数値もすぐに正常値に戻り、無事、論文も提出期限に間に合わせることができました。
ステージアップしていく彼女の世界
そして、その論文が世界へ向けて発表される運びとなったのです。彼女が見ている世界はどんどんステージアップしていき、大学院の奨学金も全額免除されることになり、子ども達も自分の夢に向かって動きだしました。
自分を知ることにより、父の大きな愛と母の愛をしっかりと受け取ったAさんの中で、両親から受け継いだ男性的な実行力と、女性的な育み育てる力が融合し、目の前に本当に望んだ人生を生み出したのです
(終わり)