人生の途中でふと立ち止まり、「私の人生これでいいのだろうか?」と虚しさや不安を感じたことはないでしょうか。
今回ご紹介する実証例は、結婚してから十数年間、不自由さを感じて生きてきたある女性(女性 40代 愛知県)が、ミロスシステムによって、目には見えない人生の“からくり”を見破り、今までとはまったく違う、第二の人生をスタートさせた体験です。
本当の自分の人生とは…? と思い悩む方に、この実証例がヒントになれば幸いです。
『人生のからくりを見破り、本当に求めた人生を生きる』
精神的に依存してくる夫が許せない
結婚してから十数年間、不自由さを感じ、事あるごとに夫を悪者にして一方的に責めてきたというYさん。時には、日頃のうっ憤を発散するように、夫に当たり散らしたこともあったそうです。
そんな自分を嫌悪しながらも、精神的に強烈に依存してくる夫のことが許せず、Yさんは、自分を正当化することで自分を守ってきました。
しかし、親戚の子どもが生死にかかわる病気を患い、「死」というものをリアルに感じた時、自分が今まで本当の意味で“生きていない”ことに気付いたのです。
「私はちゃんと生きているのだろうか?」「自分の命を生きたい、本当の人生を生きたい…」
心の底から湧きおこる強い想いが、彼女を突き動かしていきました。
依存者を引き寄せてしまう
すでにミロスシステムを知っていたYさんは、これを機に本格的に学びだし、いくつものカリキュラムを受けるなかで、自分が強烈に“自立に傾いた人間”であり、そのため、自分の周りに依存者を引き寄せてしまうという“仕組み”を知りました。
実際に、家庭生活に置いては、精神的に弱い夫や世話が焼ける子供、家の外でも、何かと頼られることが多く困っていました。
これまで“自立を良し”として生きてきた彼女にとって、衝撃的な事実でしたが、さらにミロスシステムで人生を紐解くうちに、これまで生きてきた人生も、目には見えない“からくり”によっておかしくなっていたことがわかっていきました。
なぜ、自立に傾いたのか
Yさんが2歳の時に弟が生まれ、大好きな母の力になりたくて、彼女は弟の世話をするようになりました。しかし、頑張っている自分よりも、家族の注目は弟の方に集まり、いつしか「どうせ私なんか…」という“ひねくれた思い”を持つようになっていました。
人間の思い込みは真実をも曲げる力を持っているため、そんな思い込みを自分に持ってしまったYさんは、それ以来、両親から注がれる愛情に気付くこともなく、“どうせ私なんか…”と感じるものばかりを拾い集め、愛のない世界をつくり上げていきました。そして、甘えることも、頼ることもできなくなり、そういう気持ちさえも断ち切り、どんどん自立に傾いていったのです。
Yさんは、頑張った甲斐あって経済的にも自立し、独身の頃はそれなりに体裁良く生きてこられました。しかし、結婚するといろんな問題が目の前に立ちはだかり、今までの自分のルールや常識が通用しなくなっていったのです。
不平、不満を夫にぶつけ、「私は間違っていない」と正義を振りかざして頑張れば頑張るほど、行き着くところは誰にもわかってもらえない孤独な世界でした。やり場のない気持ちを抱え、この先もこのまま生きていくのだろうか…と思うと、絶望的な気持ちにもなっていました。
“依存”と“自立” 二つの意識
しかし、ミロスシステムに自分と夫の関係性をあてはめてみたとき、夫を通して、自分の人生を左右していた内面意識を初めて見ることができたのです。
自立している自分の中にも“依存”と“自立”の二つの意識があり、幼少期の家庭環境で生まれた“ひねくれた思い込み”が元で極端に自立に傾き、その結果、背後に隠れた“依存”がYさんの人生に、依存される状況をつくり出していたことがわかりました。
また、夫に感じる依存心の強さは、彼女が子ども時代にあきらめた依存願望であり、親に甘えたり、頼ることのできなかったことで、甘えや弱音を吐くことを“悪”とし、自立した生き方を“善”として生きてきたのです。
こうして自分の人生を俯瞰し、内面に隠れた無意識まで見通せるほど、客観的に自分を見つめたのは初めてでした。苦しんできたとはいえ、自分の中の二つの意識がどう動き、どんな人生をつくり上げていたのかを知ったとき、その完全性と完璧さにYさんは、美しささえ感じたそうです。
思い込みのフィルターが剥がれると
その時にはもう“思い込みのフィルター”は剥がれ、彼女の見る世界は今までとはまったく違うものに変わっていました。
依存心の強い夫はどこにも存在せず、目の前には、どんな時でもじっと見守り続けてくれた優しく頼もしい夫がいました。Yさんは、これまで取りこぼしてきた夫の愛を取り戻すことができたのです。
愛のない世界に生きて、思春期の頃から理想の人生、理想のパートナーを思い描き、理想と現実のギャップに苦しんできましたが、今ではその人生も本当の自分を生きるために必要な第一幕だったとYさんは言います。これからが本番―、彼女が本当に待ち望んだ人生の第二幕が開けたのです
(終わり)