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アレルギーの症状が消えた 間違った自己概念から生まれた防御機能をリセット

Rossco’s Eyes ~人生を俯瞰する視点~ Vol.207


Introduction

誰もが自分に対していろんなイメージを持っています。これを自己概念と言い、幼い頃に辛い出来事を体験した人は、否定的な自己イメージを持ってしまいます。そして、そのイメージをなんとか補おうとして、その反対側に駆り立てられ、本当の自分自身を生きていないケースが多いのです。

今回ご紹介する実証例は、自分のことを“罪人”だと思い込み生きてきたある女性(Sさん 40代 福岡県)の体験です。ミロスシステムに出合い、間違った自己イメージから解放されていくなかで、長年患った病症さえも医療の常識を破り消えてしまった体験です。

『アレルギーの症状が消えた 間違った自己概念から生まれた防御機能をリセット』

善人のフリをしている

「私は、善人のフリをしている罪びと…」

そう思い込んでいたSさんの人生は、親子間の確執や病気、様々な人間関係のトラブルなど、問題がつきませんでした。

なぜ彼女がそんな否定的な自己イメージを持つようになったのかというと、その背景には、極端に善に傾き生きていた両親との親子関係がありました。

世の中の悪や矛盾に敏感で、いつも誰かに怒りを向けていた父と、常に自分を責めてばかりいた母のもとでSさんは生まれ育ちました。

そして、何かにつけて父に叱られてばかりいた彼女は、父を激しく憎むようになり、その一方で、“私は悪い人間なんだ”と思い込んだのです。

Sさんは、無意識に心のバランスをとろうと、善や正義に傾いていきました。しかし、“善人”でいようと思うほど、「本当は違うのに…」と、罪の意識が大きくなっていったのです。

そんな彼女の世界には、実際に法に触れそうな出来事が立て続けに起こりました。そして、「いつか捕まるのではないだろうか」と不安な日々を送っていました。

自分にネガティブな情報を与えていた

精神的に追い詰められ、Sさんは生きることにも限界を感じていました。しかし、ミロスシステムに出合い、彼女の世界は急速に変わっていったのです。

幼少期に親の愛情や関心を受け損なったことで、自分に対して否定的なイメージを持ち、そのイメージ通りの人生を送ってきましたが、親の言動に感じるものさえも、自分に対して持っているイメージであることを知ります。

生まれながらにして持っている自我を、最も身近な両親との関係性に映し見て、自分が自分にネガティブな情報を与えていたことを知ったとき、Sさんの中で思い込んできた事実がすべて覆され、人生に無限の可能性を感じたのです。

なぜ、アレルギー性疾患に悩まされたのか?

そうやって実践していくなかで、長年悩まされてきたアレルギー性疾患のメカニズムも紐解けていきました。

幼少期に発症した鼻炎にはじまり、10代の後半からは、定期的に悪化するアトピー性皮膚炎に悩まされてきました。ひどくなると温泉療法や自然療法に4が月近くも時間と労力を割かなければならなかったのです。そして、ミロスに出合う前の数年間は、気管支喘息や様々なアレルギー症状を発症し治療に追われていました。

Sさんは、知識として、アレルギー反応は自分を守るために細胞の防御装置が過剰に働くことで起きていることは知っていましたが、どうしてそこまで自分の体が反応するのかがわかりませんでした。

しかし、体内で起きている“過剰な防御反応”こそ、自分の生き方そのものだと気付き、状況は一気に変わっていきました。

思い出した6歳のときの体験

“防御”をキーワードに、彼女が思い出した出来事は、6歳のときのチカン被害でした。この世の中に自分に危害を加える者がいることを知り、子ども心に男性から“自分を守ろう”と身構えるようにもなりました。

そして、身を守るために“美しさ”“女らしさ”を封印した彼女は、成長に伴い女性らしさを増していく肉体にも抵抗感を持つようになり、また、男性を敵視するがゆえに、よからぬ情報を拾い集めて、自ら恐怖心を大きくしていったのです。

思春期に発症したアトピー性皮膚炎は、異性に関心を持ちながらも、防御しようとするSさんの思考が、体の機能までおかしくしてしまったのではないでしょうか。彼女は、なんとか治そうとしていましたが、無意識レベルでは、女性の美しさを隠し、敵から身を守ることに成功していたのです。

アレルギー性の症状がすべて消えた

このようにすべてが紐解けたとき、Sさんの中から恐怖も罪の意識も消えていました。善にこだわることも、自分を防御する必要もなくなり、アレルギー性の症状はすべて消えてしまい、たくさんの薬も飲む必要がなくなりました。

Sさんは、人生をおかしくしていた“自己イメージ”や、“観念的思考”からようやく解放されたのです

(終わり)