前回は、人間が誤ったアイデンティティを持ってしまうために幸せになれないことをお伝えしました。
- 親のことが好きでも嫌いでも、その基準でパートナーをジャッジするために異性関係が上手くいかない。
- その “幸せになれなかった経験” から、異性に対する誤った考え方が自分のアイデンティティの一部になる。
- 自立を演じている人の前に依存者が現れるのも、恋に恐怖を持つ人が悲恋を繰り返すのも、実は、「これが自分」「私はこうです」という偏った思いこみから、自分の無意識の中に隠れている “もう片側のもの” が現実の世界に “反転” して現れていたから。
- 今の自分の考え方、生き方にはそれを押し出している片側があるのに、それを拒絶している人間にはエネルギーがなく、自分のあらゆる可能性を失ったまま生きている。
では、生まれながらにして誤ったアイデンティティで生きる運命にある人間が、“本当の自分” に出会うということは、一体どういうことなのでしょうか…。あるご夫婦のケースをもとに見ていきましょう。
『アイデンティティの見直しに悩む大人たちへ』
従来の思考回路から脱出する
本当の自分と出会うにはどうしたらいいのでしょうか。まさか、まだ善悪のジャッジも観念体系も持っていない乳児の頃にタイムスリップして、もう一度、生き直す……ということはできませんが、“この自分” は “関係性というシステム” でつくられたものです。
今まではそのシステムを知らずに、片側に偏った思考回路を持つ自分で生きてきました。しかし、アイデンティティの正体を知ったなら、自分の人間関係を通して従来の思考回路から脱出し、本当の自分に出会うことができるのです。
感情から紐解く
ところで、あなたが日常で人に対してよく感じることは何でしょうか。特に敏感に反応するものは、やはりネガティブなものです。今までは「相手のせいで自分が嫌な気分になっている」と思ってきました。
しかし、無意識の中に自分が隠しているものが現実の世界に反転して現れており、それを相手に感じていることがわかった今、相手に感じる “感情” が自分を知っていく “鍵” になり、感情から自分の思考回路を紐解くことができるのです。
要するに、自分を知るには “相手” がいなくてはならないということです。
そして、最も自分のことを教えてくれる相手は誰かというと、互いに “素の自分” をさらけだせるような密接な関係性にある人……婚姻関係にあるパートナーがベストですが、いなければ親や兄弟、または、友人や職場の人たちでも自分を知っていくことはできます。
例:楽観的な夫と悲観的な妻
ひとつ事例を挙げましょう。
ある夫婦の夫からの話です。
「妻が悲観的で困る」と話す夫は、毎日仕事から帰ると妻から愚痴や心配事を聞かされるため、家に帰るのが億劫になっていました。
夫から見ると全く問題の無いことでも、妻は悲観的に捉えてしまう。夫は一体どうしたらいいのかわからず、妻は精神的に病んでいるのかもしれないとまで思っていたのです。
それとは逆に、自分自身について夫は妻と対照的であり、非常に楽天的な人間でくよくよ考え込むようなことはないと言っていました。
しかし、私のところに相談に来た後、彼は妻の姿を自分として見るようになりました。
そして、「自分では自覚していないもの(悲観的であること)を妻に感じているということは、実は自分が悲観的であり、それゆえ、いつも物事を楽天的に捉えて生きている」ということを知ったのです。
ネガティブな感情を嫌ってきた
すると、妻が話す人間関係の愚痴や、経済面の心配、育児への心配、すべて自分のものであることがわかりました。
今まで妻の話を「そんなことくらい……」「また心配ばかりして……」と全く聴いていなかった彼でしたが、初めて自分の声として聴いたとき、全部が自分の中にある不安だったことがわかったのです。
つまり、夫は不安な気持ちになるのが嫌で、悲観的な考えやネガティブな感情を遮断してプラス思考に傾いて生きてきたため、いつの間にか自分の片側を忘れ、もう片側だけで生きている自分を “自分” だと思い込んでいたのです。
では、妻を通して今まで気づかなかった自分の片側を発見した夫は、その後どうしたのでしょうか。
彼は、ただ自分の中にある相対的な二つの要素を目撃しただけで、何もしていません。それだけで、妻は愚痴を言わなくなり、彼女に悲観的なものを感じることもなくなったのです。
つまり、「片側を拒絶し、もう一方の片側だけで生きているからうまくいかない」というシステムが分かれば、もう何もする必要がないからです。
片側だけでは生きていけない
従来のように、反省したり自分を変えようとすれば、またプラス思考に傾き、その傾きが現実化します。
人間の思考はどうしても「悲観的は悪い」「楽天的は良い」と捉えてしまいがちですが、楽天的だけでは生きていけません。悲観的なところがあるから危険を避けることができたり、用心ができたりするわけです。
常に自分の中にある二つが互いに補い合いバランスをとり合っているからこそ自分は存在しているということが理解できたら、良いも悪いもなくなってしまいます。
そして、良い・悪いが無くなるということは、常にジャッジしている “思考” が破壊され、その思考がつくりだしたアイデンティティも消えていきます。
本当の自分とのであい
このように、目の前の世界に見るもの、感じるものから“反転” して映し出されている無自覚な自分を知っていくことで、本当の自分との出会いに近づいていきます。
そして、自分の中にある二つの要素を目撃し、ジャッジすることなく受け取ったとき、初めて人間からエネルギーが生み出されます。
今まで失っていた可能性がよみがえり、今度はその “未知の可能性” を目の前の世界に見ていくという豊かな人生が待っているのです。
(シリーズ最終回)